第二次世界大戦後、日本の社会は、企業による技術革新によって飛躍的に生産力が高まり、日本に高度経済成長をもたらしました。
しかし、様々な商品が次々と生まれていく一方で、それを購入する消費者に対する情報提供が十分でなかったり、消費者の知識が技術の発展に追いつかないため、正しい商品知識を得ることができないという事態が起こりはじめました。
このことが背景となりトラブルや事故が消費者に増えていきました。
粗悪品の流通や、企業の説明が足りない製品によって、消費者が思いもよらぬ損害を受けるようになったのです。しかし、そのような問題が起こり始めた当時は、消費者を保護するための法律がまだ整備されていなかったため、問題への対応もままならないものでした。
そのため、噴出する消費者トラブルを軽減するため、消費者の立場からいくつかの消費者団体が設立されました。しかし、それでも、力のある企業と比べ消費者の立場は低いものでした。
やがて、アメリカ(1962年にケネディ大統領の『消費者保護に関する特別教書』を発表)やヨーロッパと比較して、日本の消費者行政の遅れが認識され始めた1968年に消費者保護基本法が施行され、それに伴い消費者に対する様々な法律がつくられ始めました。
1969年に通産省が「業界における苦情処理体制の整備について」という通達を各事業者に出したことにより、各企業は消費者対応窓口を設置し始めました。さらに、1974年に起こったオイルショックにより、企業の危機感がまし、消費者対応窓口の設置が激増しました。
しかし、そのような窓口は、一方通行なものが多く、消費者と企業との掛け橋になる存在はまだ不足していました。その頃、アメリカでは、消費者と企業の紛争を仲裁する第三者機関が数多く設立されており、日本でも消費者と企業の間に立って消費者の意向を企業活動に反映させるための中立的な立場の人材を育成しようという声がしだいに高まってきました。
こうした社会的背景から、1979年に通産省は「企業と消費者のコミュニケーション-企業と消費者の橋渡しをする消費生活アドバイザーの認定基準などについて」と題したレポートを発表し、消費生活アドバイザーの資格制度が創設されることとなりました。
以後、今日までの間には、消費のあり方や消費問題についても変化が訪れ、また、消費関連法案や消費関連資格も新しいものができ、社会環境や生活環境、経済環境も大きく変化しました。
1995年に施行されたPL法(製造物責任法)は、製造物に欠陥が見つかった場合、故意や過失の有無を問わず企業側に責任をとらせるというもので、消費者主導の象徴となっている法律です。
現在は、環境や高齢化社会に配慮した商品などもあらわれる一方、悪徳商法なども横行しており、消費はますます複雑化しています。企業側をとりまく状況も厳しいものとなっており、無駄な商品づくりや投資はできるだけ抑えなくてはなりません。
消費者感覚を持ち、かつ企業側の事情にも通じている消費生活アドバイザーは、ますますその活躍が期待されています。